Bio

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photo by Aizawa Yuki

About:
CAUCUS(コーカス):東京で活動するインディー・ロックバンド。主に80s-00sのUS/UKインディーロックからインスパイアされた楽曲は、レコードガイド本などではシューゲイザーの影響を受けながらも独自に発展させたバンドとして評されている。

活動の中心は東京だが、国内でもThe Pains of Being Pure at Heart、Chapterhouse、Sad Day For Puppets、Monochrome Set、STRFKRら数多くの海外アーティストと共演し、SXSWやNYC Popfestなど海外フェスにも出演するなど洋楽と邦楽のボーダーを超えた音楽活動を続けている。

デビューEP・1st AlbumではGalaxie 500やDaniel Johnstonら数多くのアーティストをプロデュースした90年代USインディーの鬼才、KRAMER氏をプロデューサーとして迎え、その後はよりオリジナリティを追求するべくCa-Pの藤井氏との制作やセルフプロデュースによる制作を行い、海外での評価を高め、US Indie Popの良心Cloudberry Recordsより7インチシングル「Wandering Ones」をリリース。最新作ではツバメスタジオの君島結氏と共同制作を行い、2017年秋ニューアルバム「Sound of the Air」を発表。

Members:
k yngw (voices, jazzmasters)
yuta ichikawa (jaguars)
kadomoto (bass)
taisuke (drums)

ex-Members:
hiroko (voices, jazzmasters, xylophones)
tatsuro (DADGAD jazzmasters, feedbacks)
t2 (telecaster bass, voices)
gumby (drums, gumby)

chihiro (supported us on bass when t2 was not around)

Staffs:
Kengo (A&R, Manager, Babyboom Records Japan)
Fu (merchandises)

 

History (a long story):
男女5人組。ヤナガワが大学のサークルで始めて、大学時代のメンバーが全員抜けて一人になり、2005年、暇そうにしていた、中学からのMagic; the Gathering友達てつくんを「ドラム始めない?」と誘う。直後に裏でドラムメンバー募集をしていた元ドラムのガンビーが加入。てつくんは高校時代名前がtetsuだからと、無理矢理ヤナガワにベースを弾かされていたため(ヒント: ラルク○ンシエル)、ベースに出戻り。少ししてmodest mouseとhair stylisticsが好きだという逸材のひろこさんが成り行きのまま入って、ヤナガワと一緒にYAKUZA MANSIONSというバンドをやっていたおたちゃんがギターで加入し5人編成に。初めてバンドを始めたひろこさんは、時折スタジオを12時間間違えたりしながら(※夜8時を朝の8時と勘違いしていたこともあり、それより彼女は24時間表記で時間を明記するようになったと、少なくともヤナガワは思っている)わいわいがんばる。12月末でおたちゃんが抜けてしまったため、4人編成で当時三軒茶屋ヘブンズドアだった湊さんや、当時渋谷屋根裏だった望月さん(Groundcover.)、出来たばかりの新宿Motionのせっちゃんのブッキングライヴに出演を繰り返す。この頃、今も大好きな壊れかけのテープレコーダーズの前身バンド、未だ定まらズや、デザインを担当してくれているイナダアツシ先生がヴォーカルギターを務めるシェロ、と出会う。

初めてのレコーディングセッションをやろうとGOK Soundのドアを叩く。日程を決める間近になって、myspaceでアメリカよりGalaxie 500, LOW, Daniel Johnstonらを手がけてきた憧れの奇才プロデューサー、KRAMER (shimmy-disc)からプロデュースしてくれる、というメールがたまたま来る。そして、KRAMERを迎えて自主レーベルPeregrineより「空と時間軸EP」を発表。CRJ-TOKYOで”SING”が7週連続チャートイン。この頃、後に「going for a lonesome dream」のプロデュースをして下さる、Ca-Pの藤井大将(当時ルミナスオレンジのギターサポート)と出会い、藤井さんを通じひろこさんとヤナガワがサポートすることとなるルミナスオレンジと出会うのが、2007年(先行で2006年12月に発売したため、CDの表記は2006年となっています)の始め頃。blgtz、ghost、oversleep excuse、Luminous Orangeを呼んでイヴェント「CAUCUS RACE」を新宿MOTIONで行う。この時フライヤーで初めて、本HPのイラストやこれ以降のCD/レコードジャケットのイラストレーションを描いて頂いている神宮絹ちゃんによるイラストが使われる。

2007年5月、nanocycleやcryvを通じて知り合ったクラブイヴェント「ブルースターズナイト」のDJを始める前の月の翌日、大学時代の親友、石黒重久くんのライヴを見に行くとagreement the superfreeというかっこいいバンドが対バンしている。声をかけると、そのベースは前日ブルスタのソファで隣の席でガン寝していたワカモノ=カトーちゃんであった。6月から共にブルースターズナイトのDJとして加入。

myspaceよりイギリスはBabyboom Recordsより発表されるコンピレーションに参加しないかと、現マネージャー兼レーベル社長のケンゴからメールをもらう。始めはお互い英語でやりとりをしていたが、途中から日本人だと把握し、ネット友達になる。当時僕たちを繋いでいたのはテレビ東京系アニメーション「みなみけ」だった。

次作レコーディング日程も全て決まった2007年11月、諸事情で実家に帰っていたガンビーの代打でドラムを叩いてもらった、カトーちゃんを青山青い部屋でのライヴ(パスカール企画)で、ギターを弾かないか、と誘う。しばらく考えさせて、と言った10分後に加入が決まる。もちろんその時彼がギターを弾いている姿はほとんど見たことがなかった。

その頃、Shout Out Loudsの日本公演を行った、学生時代毎度のように買っていたクッキーシーンのイヴェントにて、伊藤編集長に緊張しながらEPを渡して個人的には猛アタック(かなり控えめに見えたとは思うが・・・)をかける。数ヶ月後のクッキーシーンにて現monchicon佐藤さんによるコーカス初誌面インタヴューが掲載され、感、極まる

2008年、KRAMERと一緒に蕎麦や回転寿司を喰らいながらGOK Soundにて「in vain you are」をレコーディング。いつもKRAMERが来日するときの宿は我が家。隣の部屋で女の子とスカイプをしているのを自慢される。 高円寺HIGHができたのもこの頃で、当時mashでベースを弾いていたフジイさんからのお誘いでtotal feedbackへの出演がきっかけで国内シューゲイザーシーンと繋がる。cruyff in the bedroomユウスケさんを通じ、死んだ僕の彼女、Plastic Girl In Closet、sugardrop、civic、少女スキップらと出会う。
USのClaire Records / 日本のQuince Recordsの共同コンピレーションアルバム「half dreaming」に参加。The Vainの友達の同級生(当時高校生)のちひろくんと彼らの企画の打ち上げ会場(高校生たちだったので、下北沢のラーメン屋)で出会う。もしかしたらブルスタだったかも知れないが、ヤナガワは酔いすぎていてそのことを思い出せないで今に至っている。後にコーカスでてつが忙しいときに、1回や2回のリハでベースを弾かされるようになるとはお互いに思ってもみなかった。7月に帰国したBabyboom Recordsケンゴと、ブルースターズナイトが招聘したThe Lodger(UK)とのライヴで初めて出会う。この日、Friends Againがかかっていたのを鮮明に覚えている。
この日、物販スタッフをやってくれていた現イラストレーターのエリ・コヤマダがメガフォンを持ってきて、叫びながら物販をやってくれたのに、反応する人と引く人の割合が50/50だったのはおそらく彼女の人柄を表していること間違いない。エリちゃんは、大学のよき後輩です。
Ca-Pと共に青森・仙台ツアーを敢行。ヤナガワ、急性腸炎になりながらも、なんとか酒を飲み、ライヴを乗り切る。運転には現ラーメン界のホープ、hirotake兄さんが某バンドアメリカツアー時のノウハウを生かしてくれました。いい麺食わしてくれよな。

2009年、Cream Cone Records遠藤さんとCa-P藤井さんが始めたレーベル:Navigationより「in vain you are」をリリース。歌詞と対訳とライナーノートを入れたい、と懇願し、8Pのブックレットを入れていただいたのがとても嬉しかった。ライナーノートにはブルースターズナイトのオーガナイザーchicchiが友情と愛情たっぷりな文章を寄せてくれる。その先行リリースとなる2008年11月のNavigation Nightで、toddleと初めて対バン。SXSWの時はアイコンさんにめちゃくちゃお世話になり、江崎さんには「going for a lonesome dream」の素敵なコメントも頂きました。「in vain you are」をきっかけに、たくさんのライヴやクラブイヴェントに出演のオファーを頂けるようになる。ちょっと時間が出来たこともあり、half yogurt/PWRFL POWERの野村くんにも色々教えてもらいながらヤナガワはワシントン州オリンピアのGenerifusことSpencerとともに、アメリカソロツアーを決行。10日間・10都市で11本のライヴを行う。憧れていたアメリカのカレッジラジオにも出演。バンドで行きたいと心底願い、翌年のSXSWに応募。出演が決まる。ヤナガワとひろこさんがルミナスオレンジのサポートメンバーとして加入した。

2010年、2月にPains Of Being Pure At HeartとThe Depreciation Guildの来日公演に出演。みんなと仲良くなる。バンドを始めたきっかけでもあったex-Cymbalsの沖井さんにも「大好きです」と告白できた新代田Fever。3月SXSW2010出演、ソウルフードことブリトーを毎日喰らい、Pains〜やDepreciation〜のみんなとも再会。4月、伝説のChapterhouseが再結成、そして Ulrich Schnaussとともに個人イヴェンターmanabuさんが行った来日ツアーにて共演。5月、Ca-P藤井さんのプロデュースのもと「going for a lonesome dream」を発表。6月、レコーディングをいつも行っているGOK Soundにて初のワンマンライヴ。たくさんのライヴを立て続けに行う。
9月、ひろこさんとあべちゃんがやっているSmile Loveがニューヨーク遠征。11月に来日するWoodsのケヴィンや、Beachniksのサージら、ブルックリンのシーンと親密になる。Grassland Galleryにてライヴを敢行。ヤナガワ、カトーは心底嫉妬しつつ、てつくんは我関せず、ガンビーは色々と精一杯だった。

10月、ガンビー脱退。

10月17日、The Velvet Teen来日、共演。Ca-P藤井さんとヤナガワを繋げた、藤井さんの高校時代の後輩、izumiさんと出会ったのは、彼女が運営していたTVTのファンサイト。そしてそのファンサイトがなかったら、現Smile Loveのあべちゃんや現ラーメン武将のhirotake兄さんとも出会うことはなかった。そんなタイミングでもあり、色んな事もあり、涙をたくさん流す。ドラムは89年明星なら表紙を飾れるであろう西浦謙助さんを迎えて(4日で全曲覚えてくれた)のライヴ。「けんちゃんかっこいい〜☆」を連呼するひろこさんが誕生する。そのけんちゃんにお願いした2回目のQuandata企画のライヴ(10/19)楽屋にて、てつとヤナガワとのアニメ友達(※ヤナガワはライトユーザーなのでそんなには詳しくない)であったex-Veltpunch、ex-six’o'minus、現89secの遠藤さん(バンド仲間の間ではドンキー)に、(本人の前では言ったことはないが、実はヤナガワがけしかけながら)ひろこさんが一緒にスタジオ入ろうよ〜☆と電話をする。

ひろこさんは遠藤さんを「福の神だよ〜☆」と語っていたが、事実、31日にスタジオに入ることが決まった直後、29日未明、アメリカはCloudberry Recordから7”を出さないか?と連絡が入る。ヤナガワ、踊りながら地下鉄を乗り換える。12月19日、早速GOK Soundにてレコーディングを行うことに。

2011年春、Pains Of Being Pure At Heart、Summer Cats、Sad Day For Puppetsらを文字通り”発掘”した、US Indie Popの良心”Cloudberry Records”より、キャリア初のVinylリリースとなるシングル7″ – Wandering Onesを発売する。5月、タイミング良くリリースと同時に行われた、世界中のインディーポップが集うフェス、NYC Popfestに参戦。Pains、Betty And The Werewolves、Go Sailor、Gold-Bears、Felt Tips、Persian Rugs、Sea Lions、Dream Diary、Hairs、Panda Riot、Tiny Fireflies、Motifs、などなど、とにかく沢山のバンドと交流、対バン。7インチも売れまくり、観光もしまくり、鼻高々で帰国。7月にはレコ発、2回目のCaucus Raceを二万電圧でSiNE / Groundcover. / Yucca / 少女スキップに出演してもらい開催、大いに盛り上がる。8月にはJAMでTOKYO MELT NIGHTに出演、DIGRAPHIAを初めとする、ハードコア勢とも交流を深める。9月にはAlan McGee(!)来日&主催のアクトに代官山UNITにて参加。曽我部恵一バンドとも共演。同じく9月には遠藤さんの古巣、Veltpunchの企画にも出演。10月にはBP.復活となったswaraga企画にも出演。11月にはスウェーデンから、そしてCloudberryのレーベルメイトでもあるSad Day For Puppetsと共演、一緒にサポートアクトをやったBertoiaは柳川の大学時代の先輩も所属のかっこいいバンドです。12月には初となる西への遠征、いったんぶ主催の神戸では壊れかけのテープレコーダーズも一緒で、nayutaや、BLONDnewHALFとも共演。広島では東京からの面々も豪華だった、あきのうたげに出演。憧れのLostage五味さんとも共演、toddleはもちろん、etosかっこよかったなー。移動でHellow Hawkは見逃してしまったけれども、この日から交流を深める。Stereo Recordのみなさんも仲良くしてくれてありがとうございました。

2012年、年明けは友人のもや氏が主催するYoung Pop Dreamにてシューゲなみんなと共演。新作のプリプロレコーディングも進めながら、今年はアルバムを出そうとがんばる。

5月にはFragile企画にて初の大阪遠征。10月にはMonochrome Setの来日をサポート。11月はPVの衣装でもお世話になったGuell Mustardの10周年記念に出演。ブルスタDJの松本ルーザー氏にベースを手伝ってもらったこともあったり。2012年のライヴ活動は新しいバンドとの出会いが多い年でした。

結局プリプロと思っていた作品で海外コンピに二枚に参加。一枚はインドネシアのShiny Happy Recordsで日本インディーポップ特集コンピThe Sun Rises In the East 。こちらにはLight Is Beneath The Darkで参加。もう一枚はWandering Ones 7″をリリースしてもらったアメリカのCloudberry RecordsのfanzineコンピExposed on the Cliffs of the Heart。こちらにはPartyで参加。

12月末にCOLORSの本番レコーディングを開始。

2013年、1月20日。新代田FEVERにてワンマン。この日をもって、バンドの立ち上げから一緒にやってきたベース高橋哲が脱退。てつは就職して、結婚して、もうすぐお父さん。寿脱退です。とはいえ、なんだかんだ中学からの腐れ縁だし、さみしかったりする。これからもよろしくね。

caucusfever

photo by Keigo Fusano

サポートで大学からのこれまた腐れ縁、角本氏をベースに迎えて、3月27日には初九州・福岡。ストロボライツのみんな、ありがとう。またきっといつか一緒にやりましょう!

4月24日、新作COLORSを発表、5月19日、20日には大阪・東京でもレコ発。大阪ではFragileの大塚さんのラストライヴにも一緒にできて、よかった。東京ではCa-P先輩や来来来チームを迎え、やっぱり藤井さんは色んな意味で恐るべき人であることを知る。
7月にはあきのうたげ以来となった広島遠征、USのSTRFKRの来日公演に出演。再びetosがエモす。stabiloでチルアウト。affable noise+kneeeeすごいよかったー。広島インディー、すごい面白い。ハコのSpaceO92もまたよかった。DIY!
8月、てつ脱退後サポートベースを務めてくれていた角本が正式加入することに。それに伴い、次作の作曲を開始。最近みんな忙しいけど、予定合わせたり、色んな工夫をしながら、すごい作品を作ろという話をし始める。

11月にはCOLORS東北ツアー。楽天の日本シリーズ優勝と仙台公演がかぶるという奇跡が起きる。青森・仙台、いつも本当にお世話になっています・・・!

2014年、2月のSummer Solstice企画出演以降、楽曲制作に専念することに。
楽曲制作の最初のセッションに、MTV81の取材が入り、8月にCAUCUS初のテレビ出演。日本で取材を受ける日本のバンドなんだけれども、海外向けの番組ということで英語でインタビューに答えるという形に。動画のログはこちらから(海外サイトになってしまうため字幕はなし)。

2015~2016年、なかなかみんなで集まれずも、角本・遠藤・柳川の三人を中心にデモを作ってはスタジオに入り、曲の骨格ができたらプリプロレコーディングをして、後から宅録で加藤ギターをオーバダブという形で10曲を制作。
2016年12月25日からツバメスタジオにて君島結さんとのニューアルバムのレコーディングセッションを開始。

2017年1月30日、ギターパートの録音が終わった日に、加藤脱退。
今は音楽ではなく、別の活動をやっていきたいという心境にあり、結果として生活の中でバンドをやる時間を取ることができなくなってしまった。留意はしたものの、今の状態では一緒にリハも入れないし、他に優先したいことが出来てしまったということは非常に残念だけれども、こればっかりは仕方がない。バンドとしても受け入れることに。

3月11日、ツバメスタジオにて最後のレコーディングセッション。無事10曲をトラッキング完了!角本・遠藤・柳川の三人で打ち上げ兼今後について話し合い、帰りの電車で新ギターにイチカワユウタ(Float Down the Liffey/alicetales)に声をかける。
また、はっきり発表していなかったものの、ひろこさんは家庭を優先しないというけないこともあって、今はコーカスの活動をできる状況ではなく、活動再開のタイミングで同じく脱退という形を取ることに。今回のセッションでも曲作りには参加できず、数曲コーラス・ヴォーカルの録音をやってもらうのが精一杯でした。

4月からライヴ活動再開にむけてのリハを続けている中でイチカワのメンバー入りが決定。ぼそっと「この調子で行けば初秋くらいにはライヴ活動再開できそう。(誰か誘ってくれないかなあ…誘ってくれないかなあ…)」という構ってちゃんなヤナガワのつぶやきを見事死んだ僕の彼女の石川くんが見つけてくれて、ライヴ活動再開となる企画に誘ってもらう。
7月15日ニューアルバムよりHelloのMVを先行公開。これはレコーディングのメイキング映像で作られたものなので、加藤の出演最後の作品となるわけで、翌日のライヴからはイッチーが正式にCAUCUSとしてお披露目となるため、なんとなくその前に発表したかったという意図もあったり。いやはや、いいアルバム録れたぜ!

7月16日死んだ僕の彼女企画SWEET DAYS AND HER LAST KISSにて、死んだ僕の彼女と少女スキップとともに3年ぶりのライヴが決定し、イッチーの初ステージは超満員の企画にて無事終える。前ベースの哲や、静岡から前ドラムのGUMBYも来てくれて、もう10年近く付き合いのあるシューゲな仲間たちと、昼公演だったため打ち上げで長時間飲み続けた。

photo by Keigo Fusano

24日にはTry The Pieの来日公演を下北沢にて自主企画を久々にオーガナイズ。Smokebees、サーティーンとTry the PieそしてDJに松本ルーザーと、月曜にもかかわらず大いに盛り上がるイヴェントとなり大成功。ありがとうございました。9月には渋谷Ruby RoomでニュージーランドのThe Renderersと共演。11月リリース直前には大学時代に追いかけるようにライヴを見ていたソフトタッチ佐野さんにお誘い頂き桂田5とのスリーマンに出演(1st ep「空と時間軸」の「時間軸」はソフトタッチの歌詞からきていたりします)。

11/15念願のアナログレコードにてニューアルバム「Sound of the Air」の発売が決定。12/13には超豪華仕様の紙ジャケ別ジャケ別マスタリング別曲順のCDバージョンも発売を決定。共に活動再開となるBabyboom Recordsには、採算度外視なわがままをたくさん聞いてもらいました。。
11/28 渋谷O-NESTにてひろこさん率いるGirl Presidentをオープニングアクトに、イッチーがリードギターを弾くSugardropドラムの中村くんがフロントマンを勤めるalicetales、そしてこの文章の随分前に高校生として登場していたThe Vainの元メンバーらも大人になって今活動しているオルタナでサイケなバンドMirrorMovesを招きレコ発を予定しています。たくさんの方に来場いただきめちゃくちゃ盛り上がる。LPもCDもたくさんの方に楽しんで頂く!(と、いいなあ・・・)

to be continued…

 

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