一日経って。

スティーヴが死んだ。もう、見てられないくらいに心配になりながら、毎回の基調講演を見てた。また痩せたね、なんて会話もApple友達ともしてた。だから、しばらくAppleの業務から離れていた時にはもう覚悟は出来てた。CEOを代わったときには、もう死期が近いと悟ってたんだとも思った。でもiPhone 4S発表の翌日なんて、どんだけAppleのことが好きなんだ。スティーヴと僕の父は同い年だ。2月生まれだから、スティーヴの方が学年は一つ上だけれども。父が亡くなったわけではないけれども、いざ亡くなってみると、悲しいというよりも、こんなにもショックになる自分がいるとは思ってもみなかった。

スティーヴが住んでいた街、亡くなった街。カリフォルニア州、サンフランシスコから101を南下して1時間のところにある、住宅街:Palo Alto。シリコンヴァレーの住宅街で、Stanford大学がある街。僕はこの街に住んでいたことがある。小学校4年から5年にかけて、父の転勤があったからだ。我が家に初めてのMac、LC IIIがやってきたのもこのときだった。東海岸に住んでいた頃から、学校の授業でMacやApple IIは使っていたけれども、ここに来て、HyperCardで簡単なプログラミングや、ブラインドタッチのタイピングなど、今思えばコンピュータを自分で使うことを知ったのはこのときだった。

日本に戻ってからも、毎月Mac PowerやMac Fanと言った雑誌を買っては読者として投稿して、14-5歳のころには時折掲載してもらっていた。Kaleidoscopeを使ってNeXT調にカスタマイズしたデスクトップとか、今思ってみれば随分と渋い中学生だったと思う。先駆的なカーネルを自社では作れなかったAppleは、Copelandの計画を白紙に戻し、優れた新しいOSを買収することに方向転換をした。本命はBe OSというOSだった。Be OSは元Appleで働いていたJean-Louis Gasséeが開発したOSで、当時出始めたマルチプロセッサに対応していたり、Copelandの目指したマルチタスク・マルチスレッドにも対応した、そしてデザインもとてもかわいいOSだった。Be社の買収の噂で持ちきりだった当時、誰もが未来のMac OSを語る際、Beの名前を挙げた。Aの次はB。そんな洒落も効いていてなんともAppleらしいじゃないか。Macが強いとされていたマルチメディア系の機能にもとても強かったように記憶している。しかし、Appleが「次の」OSと選択し買収したのは、スティーヴがAppleから追放され、途方に暮れながら始めた彼にとっての「次のステップ」だった、”NeXT”社だった。OS、NEXTSTEP(当時はOPENSTEPという名称の段階に進んでおり、現在のJavaなどの理念にも影響を与えている)はMachカーネルというUNIXベースのカーネルを持ち、マルチタスク・マルチスレッドには対応している、これもまた優れたOSではあったのだが、どちらかというとサーバよりの、少なくとも中学生の僕にはちょっとお堅い、難しそうなOSだった。それでも、やはり「伝説の」ヒーローだったスティーヴが、「最初にMacを開発したチームで」作った、というだけで、Windows 95にボロボロに負けて、カリスマ性もなくなってきたAppleの救世主のように思えた。今でも良く覚えている、NeXT買収公式発表のときのNeXT社のウェブサイトのスクリーンショットには、「何かが始まる」そんな期待で胸がいっぱいになった。

スティーヴが戻ってからのAppleは、完全に息を吹き返した。”Think Different”のキャンペーンは、どこか「浮いた」学生生活をしていた僕にとっては、背中を押されるような、そんなキャンペーンだった。

上記はスティーヴがナレーションをする、未放送バージョン。次々に歴史上の偉人を挙げ、「彼らは社会に不適合な人たち」で、「世界を変えようとさえ思った、クレイジーな人たちだ」「でもだからこそ、世界を変えられた」「人と違う事を考えよう」という、スティーヴの言葉は、僕みたいな思春期を送る・送ってきた人たちには、ついに自分を認めてもらえたように錯覚するような、あまーい言葉。Appleが宗教に例えられることはよくあることだけれども、このキャンペーンはまさに新興宗教。スティーヴ(=神)が戻ってくる事で、今まで自信をなくしていたApple社、ユーザが、「君は君のままでいいんだ」と、背中を押してくれたのです。

90年代後半というのは、CreationがOasisで息を吹き返し(吹き返しすぎたけど)、日本でも”ポスト渋谷系”と呼ばれるような音楽が次々に表に登場するような、不思議な時代だった。そこに来てスティーヴの復活。僕がこうやって好きに音楽をやっていながら、なんとなく自信が持てるのも、この頃に思春期を過ごしていたからかもしれない。やりたいこと、好きなやり方でやってたら、かっこいいよ、って。

 

スティーヴは既存ユーザ(きっとAppleで働く社員も含めて)の信頼を回復することに努めた。iMacの発表では、”Hello (again)”とMac発表時の”Hello”を文字って復活を印象づけた。

iMacに続き、iBookと成功を続けて収めていったAppleは、既存ユーザの信頼回復に表向きには動いていたが、当初の狙いでもあったNeXTSTEP買収→新OSの発表、そして移行をなめらかに行っていった。既存のソフトウェアと全く互換性のないMac OS XにClassic環境という以前のソフトウェアのエミュレーション環境を標準装備して少しずつOS Xを完成させていった。しかし、同時にスティーヴは全く別の分野からの復権を狙っていた。それがiPodだった。

mp3プレイヤーというのは以前からあったけれども、どれも難しそ

うで、CDを取り込むのにも一苦労だった。そんな中、こんなに斬新なデザインで、みんなが使いたいと思うようなものは、初めてだった。これがAppleを救った。iPodが売れれば売れるほど、みんなMacが使いたくなった。Windows Vistaが大ゴケしてくれたことにもよって(というよりはWindows xpが大成功しすぎたことによって)Appleは利益を着実に上げられるようになった。90年代にSunに買収されかけたAppleは、独立した文化を復権させた。


その後AppleはiPhoneを発表。「未来の携帯の標準」までも作り出した。誰もが一目見たら触ってみたくなる携帯。ウェブブラウジング、iPod、PDA機能。全てが一つになった夢のガジェット。Windowsがそうしたように、今度はAndoroidがiPhoneを模倣して、世界中にスマートフォンの標準=タッチパネルを広めた。iPadではそんなモバイルOSが持つ可能性を広げた。きっとiPhone/iPadはいずれMacと同じ道を歩むだろう。10年後に、Appleのスマートフォン/タブレットのシェアは、良くても15%程度まで落ちるに違いない。それはそれでいい。Windowsがなければ、きっとコンピュータやインターネット自体の普及もこんなに急激にはなかった。インフラを整えたのは、間違いなくAppleではなく、Microsoftだった。スマートフォンについても既にGoogleが業界を牽引していると言っても過言ではないと思う。それでも、ハードウェアとソフトウェアの融合から見出される、新しい「理念」に魅了される人たちは、これまでと変わらず、Apple製品を使い続けることになるだろう。

彼が生み出してきた、わくわくさせるような製品は、彼の成果そのものではあるが、もっとイデオロギーに近いところで、リアルタイムに僕らに遺してくれたものがある。スティーヴは、僕らに何もないところから、世界中を魅了するものを作る事を教えてくれたということだ。

バブルも高度経済成長も、パンクもヌーヴェルヴァーグも学生運動も、何も知らない僕らの世代に、あまり夢のような出来事はなかった。主張することで味わう挫折に怯え、ただ呆然と未来への不安を感じ、生きているだけで自己嫌悪になるような9.11、逆らえない今年の3.11、それに伴う理不尽な人災。1行で表現しても余るくらい。

もちろん、グローバルな大企業となったAppleも、そんな「権力」側の存在になぞらえることが出来るかも知れない。しかし、そんなところまで含めて、スティーヴは死ぬまで一人の不完全な人間であり、完璧主義なアーティストでもあったように思えて仕方がない。

有名なスタンフォード大学卒業式での2005年の公演。すごく普通で、当たり前で、sillyで、一生懸命な、等身大のスティーヴの言葉はいつ聞いても泣けてくる。

ジョン・レノンも、シド・ヴィシャスも、カート・コバーンの死も、全て後追いの僕にとって、スティーヴ・ジョブスはまさに”icon”であり、リアルタイムのヒーローだった。スティーヴがいなかったら、CAUCUSなんてやってなかったかも知れない。これは言い過ぎでもないと思う。そして僕は、自分で始めて、みんなで、メンバーだけでなく、ものすごく多くの縁に恵まれながら、色んな人と出会ったり、離れたりもしながら、やっているこのプロジェクト=CAUCUSを愛してる。スティーヴが教えてくれた通りに。彼が正しいとか間違っているとかではなく、こうやってやってきたことで、とてもよかったと思っているから、そのことだけでも僕は彼に感謝している。

仏教に傾倒し、Appleを始めるか、日本で僧侶になるかに悩んでいたような、そんな彼に、日本人である僕は心よりこう伝えたいな、って思ってた。「ご冥福をお祈りします。」

でも、Wozの言葉を聞いていたら、全然違うなって思った。

思わずWozに抱きついて、泣き出してしまいそうだ。
I’m just gonna miss him…

k

 

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